YOKOHAMA FC
同じ名字の、2人のゲームメーカー|中村俊輔 引退試合ドキュメント 夢を叶える左足
Writer / 青木ひかる
現役のサッカー選手からも「憧れの選手」に名前を挙げられる中村俊輔。長年Jリーグという舞台でライバルとして切磋琢磨しあい、日本代表としてともに戦った「もう一人の中村」も、学年としては2つ、プロキャリアとしては6年離れた“左足の魔術師”のプレーに魅せられた一人だ。あの人を追い抜きたい──。その闘志は現役を退いた今もなお、中村憲剛の原動力となっている。
(第3回/全3回)
初めて目にした、神奈川ダービーの記憶
「本当に行っていいのかな……」
豪華すぎるメンバーに若干尻込みをしながら、会場であるニッパツ三ツ沢球技場に向かう。
往年の元日本代表メンバーが勢揃いするなか、記者席でもベテランのライターさん同士が席を並べ、「1998年のさ……」「あのコンビって日韓の時の……」と昔話に花が咲いている。自分の知らない時代の裏話を小耳に挟みながら、楽しそうでいいなあと若干羨みながらも、私は私で一つ、ある2人のレジェンドがそろう瞬間を心待ちにしていた。
中村俊輔と中村憲剛。
2人の競演を初めて見たのは、2013年の12月7日。一人で自宅にいる時間にテレビをつけ、たまたま目に入った試合が、超満員の等々力競技場で行われたJ1リーグ最終節の“神奈川ダービー”だった。それまで家族でサッカーを観戦する習慣もなかったので、Jリーグの試合を見たのもこの日が初めてのことだったと思う。
アディショナルタイムが予定の5分に差し掛かり、中村俊輔がキッカーとなったコーナーキックのクロスボールを川崎の選手が蹴り上げ、0-1で試合終了の笛が鳴った。
終盤の追い上げも叶わず、横浜F・マリノスは9年ぶりのリーグ優勝を逃した。当時はどちらのファンというわけでもなかったが、芝の上で膝をつき項垂れる背番号25と、その奥で勝利の喜びを噛み締める背番号14のコントラストは、しばらく脳裏に焼き付いて離れなかった。
再戦は次のステージで
あれから10年の歳月が経った、12月17日。テレビの前で口を開けながら試合を見ていた私は、サッカーライターとして、2人が「同じユニフォーム」を着てピッチに立つ姿を見届けた。
後半開始前、「J-DREAMS」のユニフォームを着た俊輔の隣に憲剛がスッと入り込み、隣同士で肩を組んだ。ライバルとして戦っていた2人が、仲間として戦う。その瞬間が見れただけで、なんだか胸が熱くなる。
「あそこはもう、いいポジションを選んだなと自分でも思います。あ、いける!と思って。やらしいでしょ」
試合後、円陣のシーンについて問うと、憲剛はイタズラっぽくニヤリと笑った。
「同じ名字だったことにも勝手に親近感は沸いていましたけど、そもそもが憧れですから。背中を追い続けるだけじゃなくて、この人を抜かなきゃいけないんだって思わせてくれた存在でした。そういう方と肩を並べて、一緒に戦えるだけでもうれしかったですね」
名前やプレースタイル、ポジションも含め何かと共通点の多い二人だが、長い現役生活を終えた今、今度はお互いに「サッカー指導者」という第2の人生に向け、歩みを進めている。
「現役時代とは違った刺激が入るし、プレーヤーとやれることも全く違います。それぞれ目指す指導者像があると思うので、それぞれ邁進していければ」
ここで言葉を一度区切り、また口元を少し緩めた憲剛は、最後にこう締め括った。
「もしかしたら、いつか交わることがあるかもしれない。僕の挑戦はまだまだ続きます。この先もずっとね」