いわきFC、北原基行
秋本真吾×フィジカル特化型クラブの挑戦|いわきFCで起こす走りの革命
Writer / 舞野隼大
2022年にJ3に参入したクラブが、大きなインパクトを残している。「90分間止まらない・倒れないサッカー」を掲げ、地域リーグ時代から圧倒的なフィジカルを武器とするいわきFC。その理念をJの舞台でより体現するために招へいされた人物が、走りのスペシャリスト・秋本真吾だ。日本初のスプリントコーチとして、数多くのアスリートの“走り”を変えてきた秋本が、いわきに変革をもたらしている。
(第1回/全3回)
Jクラブ初のスプリントコーチが誕生した瞬間
「来年からJ3で勝負することになったんだけど、スプリントコーチとして入ってくれないかな?」
秋本真吾に1本の電話がかかってきたのは、2021年12月のことだった。電話の相手は、いわきFC大倉智代表取締役だ。秋本は「やります!」と、即答した。
いわきFCと秋本との出会いは必然だったのかもしれない。
いわきFCは「浜通り」にあるクラブだ。浜通りとは、北は相馬市、南相馬市、双葉郡を中心とした相双(そうそう)エリア、南はいわき市を中心としたいわきエリアからなる場所。秋本は双葉郡大熊町出身。地元にあるサッカークラブだったのだ。
それだけではない。
いわきFCが掲げる理念は「日本のフィジカルスタンダードを変える」こと。一方、秋本も「走り」からアスリートの「フィジカル」を変革させるアプローチを続けてきた。2012年6月に現役引退後、日本で初めての「スプリントコーチ」として活動してきた秋本にとって、10年の節目の年、運命に導かれるようにこのクラブと出会ったのだ。
秋本はJリーガーのスプリントコーチも担当してきたが、いわきFCの強化部となっていた平松大志のことを、FC東京時代に指導したことがあった。いわきFCに見学で訪れた際に再会し、大倉代表と平松から熱烈なオファーを受けた。
いわきFCがその年、JFL優勝とJ3昇格を達成したことで、両者の“機が熟した”のかもしれない。こうして相思相愛の契約は、冒頭の1本の電話で結ばれた。
“足元”のトレーニングから快進撃が始まった
いわきFCは2022年、Jリーグ参入1年目でJ3優勝という快挙を達成した。2016年に福島県社会人リーグ2部を戦っていた彼らは、7シーズンで6度の優勝を果たし、前人未到のスピード出世を遂げてきた。
特に、J3を優勝する過程において、秋本の力が影響したことは間違いない。
契約は週1回の指導だったが、秋本は責任とやりがいを感じて、空いた時間があればクラブに出向き、2022シーズンが開幕してからも試合に “勝手に”帯同するほどだった。
ミニハードルを並べて選手の走りをフォローし、時にはコーチの一人としてベンチに入ることも。オフ明けの練習と翌日の午前練習は、基本的に秋本がスプリントトレーニングを指導。午後のフィジカルトレーニングの合間や全体練習後に個別で教えることもあった。
だが、いきなり成果が出たわけではない。
「行きまくって成果を出してやろうと思いましたけど、(個別に教えているJリーガーたちと)同じトレーニング、同じコーチングなのに、最初はなかなか良くならなかった」
改めて言うが、いわきはフィジカルに特化したチームだ。走るために必要な基礎体力や基礎筋力は、すでにJリーグでの戦いを見据えて鍛え上げていた。そこに秋本が教える「足をどう動かして、腕をどう振るか」という走りの技術を掛け合わせればうまくいくはずだった。
「ウェイトトレーニングを見て、その理由を理解した」
その答えは「力発揮の時間」にあった。
「いわきは力発揮がめちゃくちゃ長いウェイトトレーニングをしていたんです。サッカーも走りも一瞬で力を発揮することが多く、長い時間をかけて力発揮をする瞬間は多くありません。選手やS&Cコーチに目的意識を伝えてから良くなっていきました」
がむしゃらに筋力を増やせばいいわけではない。大事なのは、「どの部位の筋肉を増やして、その結果どんなことが期待されるか、狙いを持って取り組むこと」と秋本は言う。
選手がトレーニングに目的を持つようになってからはおもしろいように変化が現れた。
「いわきの選手はとにかく真面目で頑張れる選手たちばかりですし、(フィジカルの強化を)やらなきゃいけない環境にいる。努力の方向を教えたらあとは勝手に強くなってくれます」
選手も「スプリントコーチ」の価値を痛感していく。「スピードが出るようになった」「今日は足をつらなくなりました」と、選手からポジティブな声が届き始める。急速に向上する走力。Jリーグ初挑戦で快進撃を見せた彼らは、“足元”から変革を遂げていった。