「現場はお前を求めている」ラジオDJ、俳優、ナレーターを経て得た“声”への自信|湘南スタジアムナビゲーター・三村ロンドの軌跡

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2024.05.20

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「現場はお前を求めている」ラジオDJ、俳優、ナレーターを経て得た“声”への自信|湘南スタジアムナビゲーター・三村ロンドの軌跡

青木ひかる

Writer / 青木ひかる

Interviewer / 福田悠

「ロンドさんが、アウェイの会場にいる!?」

三村ロンドが2003年にスタジアムナビゲーターに就任してしばらく経ったある日から、そんな噂がファン・サポーター内で飛び交い始めた。

スタジアムMCは本来、ホームゲームの盛り上げ役を担う。しかし、ベルマーレスタジアムナビゲーターの三村は、その垣根を越えてアウェイゲームにまで出向き、クラブやサポーターとの関係を深めてきた。

持ち前の「行動力」と「探究心」。そして、最大の武器である「声」の力を活かし、今や湘南の顔と言っても過言ではないほど欠かせない存在となった、三村のキャリアを辿る。

自作ラジオから始まった、MCとしての人生

2003年にスタジアムナビゲーターに就任した三村ロンドが、初めて「声」の仕事に触れたのは、今から35年前。1989年に開業したばかりの『J-WAVE』のラジオ放送に魅了されたことが始まりだった。

両親におねだりして手に入れたラジカセで、毎日いろいろな番組を漁った。そのうちに、自宅から送信機で電波を飛ばしてオリジナル番組を配信する“アマチュアDJ”の存在をを知る。

「面白い番組を探してチューニングをしていたら、やたらと地元の話をしている番組が耳に入ってきて、『なんだこれ!』って(笑)。最初はただ聞いているだけだったんですが、どうやら秋葉原の電気街でトランスミッターを買って、近所の誰かが配信しているらしいと。ちょっと自分でもやってみたくなって、機材やら半田ごてやらをそろえて、試しに自分でも配信し始めるようになりました」

ラジオ番組の沼にハマった少年は、ヘビーリスナーの域を飛び越え配信者に。学校や部活が終わったあと、夜な夜な『オールナイトニッポン』のまね事で磨いた声のトーンとトーク力こそが、三村が持つ“声の力”の原点と言えるだろう。

念願のDJデビューと、新たなチャレンジ

高校卒業後も学生生活の傍らラジオ配信を続けていた三村に、「好き」を「仕事」に変える転機が訪れる。

きっかけは、現在の二子玉川ライズの敷地で営業していた『ナムコ・ワンダーエッグ』というテーマパーク内に併設されていたスタジオで、園内放送のMCを担当し始めたことだった。“アマチュアDJ”から脱却した三村は、他にもDJを目指す仲間や業界関係者とつながりをつくると、1998年に開局したエフエム世田谷で自分の番組を持つことに。晴れて三村は、憧れだったラジオDJとしてデビューを飾った。

「役者を始めたのも、ちょうどその頃でしたね。当時、岸谷五朗さんや三宅裕司さんがラジオをやっていて聴いているうちに演劇もやりたくなってきて、東映アカデミーに通い始めて、DJと並行して活動していました。そこからラジオ局に自分で企画書を書き、『演劇情報番組をやりたい』と提案したら『予算はないけど枠はあげるよ』とOKをもらうことができました。自分でいろんな劇場にラジオMDを持って突撃して、話を聞いて……。断られたりもするんですけど、めげなかったですね」

並外れた行動力で自分の「やってみたい」を叶えるバイタリティは、年齢を重ねた今も変わらない三村の強みの一つでもある。

“習うより慣れろ”で始まった、ナレーターへの転身

20歳からラジオDJと役者の“二足の草鞋”を履いていた三村だが、役者の仕事はなかなか芽が出ず、足踏みが続いていた。

「そのうち、ドラマや映画ではなく、声出演のラジオCMの仕事ばかり届くようになってきて、現場で一緒になった声優界では大御所の緒方賢一さんにも、『声優にならないか』と熱烈にオファーされたこともありました(笑)自分ではこの声の何がいいのかわからなかったし、やっぱり顔を出して芝居をする役者になりたくて。それでも増えるのは、顔を出さない仕事ばかり。褒められてうれしい気持ちもありましたけど、『なんでだよ!』って当時は思っていましたね」

しかし、東映アカデミーに入所して4年目。俳優としての将来のビジョンが見えず、さまよっていた三村に届いた一つのオファーが人生で二度目の転機となった。

「きっとこのまま30、40歳になっても先がない。どうしようかと思っていた時に、さっき話した演劇情報番組の時にできたご縁で、『ナレーターの事務所を立ち上げるんですが、興味ありませんか』と声を掛けられたんです。僕としては、もう代わるなら今だなと。もうこっちに身を投じようと決めて、役者を辞める決断をしました」

ラジオDJも役者も辞めた三村にキー局の深夜番組のナレーションの仕事が届いたのは、事務所に所属してからわずか2週間後のこと。全国ネットでのナレーターデビュー戦が決まり、さすがの三村もかなり動揺したというが、ある言葉が「やるしかない」と背中を押した。

「事務所のスタッフには『新人です』と言うなと。あとは『お任せください』と自信を持って仕事を引き受ける。現場はお前の声を求めているんだし、周りを不安にさせるな、と。“習うより慣れろ”って本当にこのことですよね。かなり厳しかったですけど、それがあって今があるので」

ラジオDJから役者、そしてナレーターへ。どんな時もがむしゃらに走り続けた経験と、転身を経てようやく身につけた“声の力”の自信が、今日の三村の礎となっている。

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