F-connect
夢を叶えた2人のサッカー選手が起こす、化学変化|“コイカジ”がつなげるフットボールの輪
Writer / 北健一郎
Interviewer / 北健一郎
Editor / 難波拓未
小池純輝と梶川諒太。東京ヴェルディでファン・サポーターに愛された“コイカジ”は、どのようにして誕生したのか。そして、共同で立ち上げた一般社団法人F-connectとは。第1回では2人の出会いとF-connect設立の経緯について語ってもらった。
(第1回/全3回)
社交的な小池と内向的な梶川
──小池選手と梶川選手の最初の出会いはいつでしたか?
小池 最初の出会いは、僕が水戸からヴェルディに移籍した2012年でした。カジは大卒1年目だったよね?
梶川 そうです。2011年は特別指定選手で、関西学院大から加入したのが2012年でした。
──開幕前のキャンプでは同部屋になったんですか?
梶川 いや、違いますね。
小池 そうだっけ?
梶川 そうですよ!1年目は晩ごはんを一緒に食べに行くことも多くなかったし、なんでずっと一緒にいるようになったんでしたっけ。
小池 家もよみうりランドを境に反対方向だったし。僕は先輩と一緒にいることのほうが多かった。
梶川 僕は1人で過ごすことが好きでしたね。たまに東京に出てきた学生時代の友達とごはんを食べに行くぐらいでしたね。でも、アウェイ戦に行く時の新幹線や飛行機では、なぜか純輝くんの隣の席に座ることが多かったんです。
小池 なぜかね(笑)。
──小池選手はいろんな人とつながりをもっていた?
梶川 上の人と一緒にごはんに行っている回数は純輝くんのほうが圧倒的に多いです。
小池 当時のヴェルディはベテラン選手が多く、僕は25歳でちょうど中間くらいだったので、若い選手とベテランの選手の間にいて、いろんな選手と仲良くさせてもらっていました。
原点は児童養護施設訪問
──対照的な2人がヴェルディで“コイカジ”というコンビで活動を始め、今は一般社団法人F-connectで一緒に社会貢献活動をしています。小池選手から誘ったんですか?
小池 2013年にカジが湘南に、僕は2014年に横浜FCに移籍しました。その時にお互いの家が近くて、会う機会がすごく増えました。そうしていたら、当時の横浜FCのスタッフの方に「交流のある児童養護施設があるんだけど、良かったら顔を出してもらえない?」と誘われて、そこにカジと一緒に行ったのが最初のきっかけでした。
梶川 純輝くんが誘ってくれたから、ちょっと行ってみようという感覚でした。児童養護施設で軽くサッカーをする話だったので、「大丈夫ですよ」と返事をしました。たしか、オフの日でしたよね?
小池 そうだったかな?
梶川 そうでしたよ(笑)。
──サッカー選手のなかには、オフを自分のために使いたいと考える選手もいますけど、なぜ行こうと思ったのでしょうか?
梶川 僕も基本的にはオフの日を次の練習のために過ごすことを習慣にしています。でも、時間はありましたし、特に断る理由もなかったですね。
──小池選手は当時、一緒に活動したいと思っていたんですか?
小池 その時はまさかこんなに長く続くとは思っていなかったです。
梶川 本当に、まさかですよね。
サッカーを通じて子どもたちを笑顔にしたい
──初めて鎌倉の児童養護施設に行ったのが2014年。当時感じたことは?
小池 『ようこそ小池選手、梶川選手』と書かれた横断幕が掲げられていて、子どもたち全員で歓迎してくれました。それがすごくうれしかったことを覚えています。
梶川 ちょっとびっくりするくらい歓迎してもらいましたね。子どもたちが積極的に質問をしてくれて、盛り上がる企画も準備してくれていた。すごくありがたかったです。
小池 その後、施設の子どもたちが横浜FCの試合を観に来てくれました。僕がサイドを走っている時に、「小池選手、頑張って!」という声が90分ずっと聞こえてきたんです。その声援がすごくうれしかったので、シーズン終了後に『遊びに行かせてもらえないですか?』と施設の職員の方にお願いしました。
梶川 初めて「児童養護施設」という言葉を聞いた時の印象と、実際に子どもたちと触れ合った時の印象は、全然違いました。表現が難しいですけど、施設に通っていない子たちとなにも変わらない。ただ、最後に『じゃあ、またね』とお別れした時に、施設の方から「バイバイっていう感じをあまり出さないでほしい。それを出すと、やっぱりさみしがるんです」と言われました。そういう話を聞いて、純輝くんとは『なにかやれることないですかね?』という話をずっとしていました。
──コイカジ発信で2回目の訪問が実現したんですね。
小池 12月だったのでサンタクロースの格好をして、大量のお菓子を持っていきました。1回目の交流は小学2年生くらいまでの子がメインでしたし、前回から時間も経っていたので、忘れられている心配はあったんですけど、本当に初回と同じ熱量で「小池選手!梶川選手!」と迎えてくれたんです。それから“サッカーを通じて子どもたちを笑顔にできるきっかけ”を僕たちでつくることができないかと相談し始めました。
梶川 2回目も僕たちのことをすごく覚えてくれていたし、みんな人懐っこくてかわいいんですよ。
──サッカー選手はたくさんの人の前でボールを蹴り、ファン・サポーターから求められる存在ですが、それとは違う喜びだったんですか?
小池 違いました。最初、自分たちがどんな影響を与えられるのかは全く分かっていませんでした。「子どもたちになにかしたい」という思いが先行して動き出していました。
梶川 それこそ当初は施設にボールを寄付する話もあったんですけど、こういう時代だから物は足りているかもしれないし、自己満足で終わってしまう可能性があると思ったので、職員の方に「子どもたちが笑顔になれるような交流をしていきたいんですけど、どういうことをしたらいいですか?」と相談させてもらいました。
小池 施設にいる子たちは理由があって共同生活をしていて、基本的には18歳になったら施設を出て自立していかなければいけません。当たり前のように受けている親からの支援がないので、就職も進学も簡単ではなくて、夢や目標を抱きづらい環境なんです。僕たちはプロサッカー選手という一つの夢を叶えることができたで、子どもたちが僕たちと交流することで感じてくれることがあるかもしれない。職員の方には「そういう化学変化が起きてくれたらうれしいので、ぜひ触れ合ってあげてください」と言っていただきました。なので、今も会いに行くことを大切にして活動を続けています。
──最初の児童養護施設の訪問を経て、いつF-connectの活動を始めたのでしょうか?
小池 名前を付けて活動をスタートさせたのは、2015年です。「フットボールでつなげる」「フットボールがつなげる」をコンセプトに「フットボールコネクト」の略で『F-connect』と名付けました。最初はただ名乗っていただけなんですけどね(笑)。
──梶川選手は誘われた時、どんな気持ちになりましたか?
梶川 ずっとなにかを一緒にやりたくて、名前も純輝くんと一緒に話し合いながら考えていたんです。なので、誘われた時は純輝くんに付いていくのではなく「ぜひ一緒にやりましょう!」という気持ちでした。
※2024年5月30日で終了
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