浦正弘
自らの言葉を力に変える。帰ってきたストライカー、小川航基の“有言実行力”|北中米W杯アジア予選戦記
Writer / 青木ひかる
2019年12月のEAFF E-1サッカー選手権でのハットトリックから、約4年半。怪我やスランプを経て、小川航基がA代表のピッチに帰ってきた。このままじゃ終われない──。不屈の精神で、元いた場所に返り咲いたストライカーの”言葉の力”に焦点を当てる。
初の海外移籍でのジレンマを乗り越えて
「今年も僕に期待してください」
初めて小川にインタビューしたのは、横浜FCが2年ぶりのJ1を戦うシーズンを前にした、2023年1月のことだった。ストライカーらしさあふれる強気な言葉に、少々圧倒されたことを今でも鮮明に覚えている。
2022シーズンに横浜FCの一員となった小川は、エースとしての役割を全うし、年間26得点を決めてJ2得点王に輝いた。そんな彼に、1年間のゴール数を伸ばすことができた秘訣を問いかけると、こんな言葉が返ってきた。
「開幕からゴールを取れたことで、周りの選手も僕を見てパスを出してくれるようになりました。最初の2カ月で10得点くらい決められたおかげで心の中での貯蓄ができて、点を取れない時期もそこまで焦らずにいられました。結局は最後に数を増やせるか、あとから巻き返せば何の問題もないかなと思っています」
この横浜FCでの経験を生かし、2023年7月にオランダ1部のNECナイメヘンにレンタル移籍した小川は、開幕戦から先発に名を連ね、デビュー戦で初ゴールをマーク。第2節でも得点を奪い、新天地で早々に爪痕を残した。
ところが、スタートダッシュに成功したのも束の間。無得点が3試合続くと、第6節以降は元オランダ代表の超大型FWに先発の座を奪われ、小川はベンチメンバーに回った。
「スタメンから外れたのは、正直自分のパフォーマンスが悪かった印象はあんまりなくて、どちらかというと、僕よりいい選手が入ってきたことが理由だったと思っています。だからこそ悔しかったし、不完全燃焼でメンタル的にもあまり良くない状態でした」
元チームメートのイサカ・ゼインをはじめ、旧知の仲間がいた横浜FCの環境と変わって、NECでは自分の経歴もプレースタイルも知らない選手ばかり。言語の壁もあるなか、日本とはまた違った難しさに苦しんだ。
「それでも、悪い時にどういう姿勢でいれるかが選手の価値だと思っているので、自分ができることから一つひとつ、上だけを見て取り組んできました」
力不足を受け入れ、自らに矢印を向けて努力を重ねた小川は、11月5日のフォレンダム戦で5試合ぶりに先発メンバーに復帰。6分に先制点、アディショナルタイム8分には同点弾を決め、MOM(マンオブザマッチ)に選出された。コンディションを上げた小川は、カップ戦も含め、リーグ戦第28節終了時点で12得点まで得点数を伸ばしている。
次なる“覚醒”へ
活躍の場は異なれど、シーズン前の宣言どおり期待を裏切らない結果を残す小川は、2024年の3月21日にも“有言実行”を果たした。
「次に日本に帰ってくるときは、必ず日の丸を背負って帰ってきます」
ニッパツ三ツ沢球技場で行われた、セレモニーでの言葉から約半年。2026 FIFAワールドカップ・アジア2次予選の第3節、日本の1点リードで迎えた81分、大型ビジョンに「FW19 小川航基」の文字が光る。2021年に行われた東京五輪で世代別代表のエースとして立つはずだった国立競技場でのユニフォーム姿に、より感慨深さを感じたファン・サポーターも多かっただろう。小川のA代表復帰戦は、メディアでも大きく取り上げられた。
一方、順調にステップアップを進める背中を日本から見守りながらも、少量のお灸を据える人物がいた。桐光学園の先輩であり、ジュビロ磐田と横浜FCでチームメートとしても多くの時間を過ごした中村俊輔だ。
「2022シーズンも、コウキは1トップから一時期シャドーになったことを相当悔しがっていて、そこから点が取れるようになった。今回も同じで、『ヤバい』って状況になってから強くなる。その前に、自分だけでそこまで持っていければ本当はいいんだけど……。もちろんストイックな部分もあるけど、そこは少し甘いところですかね。でも、そこを今の環境で変えられるならそっちの方がいいし、海外のほうがシンプルに得点数が評価されるから、たぶん彼には向いている。こうやって代表に絡んで、いい刺激を受けて頑張ってほしいです」
ライバルの存在やチーム内での序列に左右されることなく、自分を追い込める力が身についた時が、次の“覚醒”の合図。
「次のワールドカップで点を取るのは僕です」
2年後の舞台で、もう一つの目標を叶えることはできるのか。“有言実行の小川”から、今後も目が離せない。