冨安健洋、ニッポンのリーダーに|森保ジャパン アジアカップ戦記 vsイラク

Taisei Iwamoto

日本代表

2024.01.24

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冨安健洋、ニッポンのリーダーに|森保ジャパン アジアカップ戦記 vsイラク

北健一郎

Writer / 北健一郎

森保ジャパンの主軸が帰ってきた。冨安健洋。怪我からの復帰を目指してきた中、イラク戦の後半45分間でピッチに立った。5年前、20歳でアジアカップに出場した時は先輩に引っ張られる立場だった。だが、吉田麻也や長友佑都がいなくなった今、冨安からはリーダーとしての風格と自覚が漂っている。

自主的に始めたウォーミングアップ

“勝手に”動いていたのだという。

イラク戦、1点をリードされたまま、前半終了が近づく。すると、日本のアップスペースで1人の選手が体を動かし始めた。ピッチからは目を離さないようにしながら。

冨安健洋だった。

後半、負けている試合展開でセンターバックが途中出場するのは珍しい。ただ、冨安は「ありそうだな」と自分の出番が来ることを予想し、自主的に準備していた。

第1戦で先制点を決めた10番のモハナド・アリはベンチスタート。日本が前がかりになれば、自陣には広大なスペースができる。イラクのカウンターを抑えつつ、ゴールをとりにいく。2つのミッションを両立するには広範囲を1人で守れて、攻撃の起点になれるセンターバック、つまり“冨安”が必要だった。

怪我の影響でアジアカップ参戦が危ぶまれていたなかのメンバー入り。コンディション調整をしながら、森保一監督は「トレーニングには完全合流しているので、(どこかで)起用したいなと思っていた」とイラク戦後に明かしている。

「後半の頭から行くぞ」と伝えられたのは、前半の終わり頃だった。まだ45分ある。1点差だったら、なんとかなる――。2失点目を喫したのは、後半の戦い方をイメージしていた、そんな時だった。

「0-1で前半を終わらせなければいけなかった。0-2になって、より相手もハッキリしてしまったので、2失点目が痛かった」

2点リードしたことで、イラクは残り45分間、全員で守りを固めてくるだろう。ガッチリを引かれた相手を崩すのは簡単ではない。ただ、後半からピッチに立った冨安は攻撃への糸口を必死に探した。

谷口彰悟に代わって、左センターバックに入ると、最終ラインで攻撃の起点となった。特に目立ったのは右から左のウイングに移った伊東純也への“1つ飛ばしのパス“だ。左サイドバックの伊藤洋輝を経由するのではなく、冨安の位置からダイレクトに伊東の元へ届ける。

冨安は右利きだが、左足でも右足と同等のキックを蹴ることができる。攻撃のカードではないにも関わらず、冨安によって攻撃の幅は広がり、テンポは加速した。ショッキングな敗戦の中、冨安によって日本の戦い方が広がるという期待感が、せめてもの救いだった。

世界の“トミー”が日本を救う

2019年1月――。UAEで行われたアジアカップで、冨安はA代表として初めての国際舞台に臨んだ。

188cm、84kgのサイズ、確かな組み立ての技術、守備範囲の広さを活かした、スケールの大きなセンターバック。準決勝のイラン戦ではエースのサルダル・アズムンを完璧に抑えて、長友佑都から「すごい。ちょっと規格外」と言わしめた。

J2のアビスパ福岡からベルギーのシントトロイデンに移籍したのは2018年1月のこと。その半年後には森保新監督が発足した日本代表に初選出され、19歳でA代表デビュー。セリエAのボローニャを経て、2021年8月にプレミアリーグのアーセナルへ。

長友からの「どんどん飛躍して、ビッグクラブに行ってほしい」というエールを現実のものにした。ワールドクラスの選手たちが集まる、世界最高峰のリーグで自分の立場をつかみとった。

ミックスゾーンでは冨安をスマホで撮影しようとする記者が後をたたず、海外メディアの取材クルーには流暢な英語で受け答えをしていた。プレミアリーグのビッグクラブで活躍するDFは日本のみならずアジアのスターだ。

今大会の冨安からはチームリーダーとしての風格が漂っている。カタールワールドカップのキャプテンだった吉田麻也から「22番」を受け継いだのは、自分が引っ張っていくという決意の表れだろう。

「アジアの戦いは難しいと感じましたし、ベトナム戦も含めて、(相手に)リスペクトされているなと。スタジアムの雰囲気も含めて、先制されると乗ってしまう。そんなに簡単じゃない」

5年という月日は、1人のDFを大きく変えた。背中を追いかける立場から、背中を見せる立場へ。世界の“トミー”が、日本のピンチを救う。

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