安藤隆人
全ポジションが、彼の定位置(有働夢叶/中京大→大分)|J内定組・未来を担う原石たち
Writer / 安藤隆人
Editor / 難波拓未
2月27日から3月3日に行われた第38回デンソーカップチャレンジサッカー 福島大会。全国の選ばれし大学生(日本高校選抜も参加)が集結して覇権を争う本大会は、毎年多くのJクラブスカウトや関係者が訪れ、大学サッカー界における重要な“品評会”となっている。「J内定組・未来を担う原石たち」では、出場選手の中ですでにJクラブ入りが内定している選手にスポットを当てる。今回は有働夢叶(中京大・新4年生、大分トリニータ内定)を紹介する。
(第1回/全9回)
興国高SB・WBは中京大でストライカーに
『夢叶』と書いて『しゅうと』と読む。
2025年シーズンから大分トリニータへの入団が内定している東海選抜のFW有働夢叶(中京大)は周りから『ドリ』の愛称で親しまれている。
あだ名の由来は、チームメイトとの名前被りだった。中学時代に所属していた奈良YMCAの同級生に田邉秀斗(川崎フロンターレ)がおり、名前の夢をとって「ドリーム」と呼ばれるようになったのが始まりだった。
「途中で“長い”という理由から『ドリ』となり、中学、高校、大学とすべてこのあだ名で呼ばれてきたので、めちゃくちゃ愛着があります」
屈託のない笑顔で話す好青年は、ピッチに入ると表情が獲物を狙うハンターとなる。彼のポジションはフォワード。175cmと大柄ではないが、豊富な運動量を駆使した前線からのハイプレスは迫力満点。「チームのために戦う、走るは僕の武器」と言い切るように、ボールの動きや相手の狙いを見ながらプレスを仕掛け、守備から攻撃に切り替わった瞬間に持ち味のスピードと正確なボールタッチを駆使して、一気にゴールに迫っていく。
第38回デンソーカップチャレンジサッカー 福島大会(以下、デンチャレ)でも、果敢なプレッシングで相手ディフェンスラインを苦しめ、隙あらばゴールを狙った。その姿勢は、まさに獰猛なハンターそのものだった。
だが、高校時代の有働を知る人間としては、今ストライカーをやっていること自体が驚きだった。興國高校時代は爆発的なスピードと疲れ知らずのスタミナを誇るサイドアタッカーとしてプレーしていたからだ。
「中学ではずっとサイドバックをやっていて、ある大会でガンバ大阪ジュニアユースと対戦した時に相手のサイドハーフ、サイドバック、ボランチ全員を守備で翻弄したんです。それを内野智章(前・興國高校監督)さんが見てくれていて、『来てほしい』と言われました。なので、興國ではサイドバックかウイングバックでした」
本人の言う通り、守備が抜群にうまい印象があった。相手のサイドハーフへプレスを掛けるスピード、裏を取られた時の対応の速さ、球際の強度は武器だった。そして抜群のスプリント力とドリブル突破という攻撃のプレーも魅力的に見えたが、内野監督からは「攻撃が課題」と常に指摘され、どうやったら守備だけではなく攻撃でも自分の持ち味を発揮できるのかを模索している最中であった。
「興國は同級生に樺山諒乃介(サガン鳥栖)らがいて、攻撃陣はかなりレベルが高かったんです。内野さんも個人に焦点を当てていて、大学に行っても、プロに行っても通用する選手を育成するというコンセプトだったので、何が自分の武器なのか、何が足りないのかを明確にしてもらえた。それが攻撃でした。高卒プロを目指していたなかで、僕にオファーはなかった。ですが、大学に進んでも抽出してもらった課題にしっかりと向き合えば、大卒でプロになれると信じていました」
一足早くプロの世界に飛び立っていった同期たちの姿を見て焦ることなく、冷静に自分を見つめ直した。そのなかで「ありがたいことに関東や関西の大学からも声を掛けてもらったのですが、1年生から試合に出たい気持ちが強く、内野さんも中京大には絶大な信頼を寄せていたので決めました」と、中京大への進学を決意した。
FW、SB、SH、トップ下、プロでも全部やる
中京大では、ポジションコンバートという大きな転機を迎えた。1年生の間はサイドバックとしてプレーするも、トップチームでの出場時間は限られ、中京大のレベルの高さを痛感した。それと同時に、より前への強度やプレー選択の質を求める永冨裕也監督を始めとしたコーチングスタッフの熱意を感じて「ここでレギュラーをつかめば、プロが見えてくるのは間違いない」と確信できた。
腐らず前向きに取り組む有働に大きなチャンスが巡ってくる。右サイドハーフにコンバートされると、攻撃に絡む機会が増えていったのだ。
「高校時代に内野さんから言われたことに加え、永冨監督が求めることにしっかりと耳を傾けながら攻撃を意識してプレーしていたら、どんどんアシストやゴールなど目に見える結果が出始めたんです」
そして、2年生となって迎えた4月にエースストライカーの碓井聖生(カターレ富山)が選抜の活動でチームを離脱した際、そのポジションを埋める存在として有働に白羽の矢が立った。当初は戸惑いを見せたが、もともと得意としていた守備が前線からのプレスで生きることを実感すると、水を得た魚のように躍動していく。
結果的には碓井が復帰しても激しいレギュラー争いに勝って出番をつかんでいくと、2022年の全日本大学サッカー選手権大会では碓井が負傷離脱した影響もあり1トップの座を手中に収めた。2回戦の筑波大戦では先制点の起点となり、後半には鮮やかなドリブルシュートを沈めて全ゴールに絡む。PK戦の末に関東の雄を退け、ベスト8進出に大きく貢献した。
このあたりを境に、Jクラブが彼の獲得に向けて動き始める。2023年のデンチャレ茨城大会では東海選抜の1トップを務めて準優勝に貢献すると、その様子を随時チェックしていた大分トリニータからいきなりオファーが届いた。
「どこの練習にも参加していないし、まだ大学2年生の段階でトリニータから正式オファーがきたので、正直かなり驚きました。他のクラブも興味を示してくれているという話は耳にしていたのですが、即決しました。そこまで高く評価してくれたことへの感謝と、Jクラブの練習にテスト生ではなく内定選手として、早い段階から参加できることによって試合に出ることと、何よりも成長のチャンスになると思ったからです」
迷いはなかった。一度決めたらスパッと行動できるのも有働の持ち味の一つだ。2023年3月31日、2025シーズンから大分への加入内定が発表されると、大分と名古屋の往復生活がスタートした。
「永冨監督やスタッフの人たちは『ドリの将来が大事』と常に言ってくれて、大学の活動もあるのに大分に行かせてくれる。本当に感謝しかありません。だからこそ、僕は1日でも早くJデビューをしないといけないと思っています」
まだJリーグの出場はないが、ルヴァンカップには出場できた。2024シーズンは、大分の始動日から帯同してキャンプにも加わり、デンチャレ直前まで活動、大会後もすぐに戻るなど、早くも大分にとって必要とされる存在になっている。
「トリニータではフォワードだけではなく、両サイドバック、両サイドハーフ、トップ下など、ほぼ全部のポジションをやっています。僕の良さは、どこでも武器を発揮できること。コンバートを多く経験したことで、『ポジションがどこであっても自分を出せば問題ない』という自信が生まれた。どこで出ようがトリニータのために全力を尽くすだけです」
この真っ直ぐな人柄とポジティブなマインドがあるからこそ、有働は周りに好かれ、彼の周りでは今日も『ドリ』という愛称が飛び交う。周りの期待に応えるために、何より自分自身の夢を叶えるために、有働は今日も活発にピッチを駆け抜ける。