「今ならプロで活躍できる自信がある」。苦楽の7年を乗り越え、即戦力としてJ1へ(藤井海和/流経大・4年→岡山)|安藤隆人の直送便(大学編)

安藤隆人、難波拓未

大学サッカー

2025.01.26

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「今ならプロで活躍できる自信がある」。苦楽の7年を乗り越え、即戦力としてJ1へ(藤井海和/流経大・4年→岡山)|安藤隆人の直送便(大学編)

安藤隆人

Writer / 安藤隆人

Editor / 難波拓未

高校や大学を中心に全国各地で精力的な取材を続ける“ユース教授”こと安藤隆人が注目したチームや選手をピックアップする「直送便」。大学編の今回は、2025シーズンからファジアーノ岡山に加入した流通経済大の藤井海和に焦点を当てる。今や即戦力として大きく期待される存在となったが、高校時代にはプロの壁に直面。自分を見失う時期があったという。しかし、大学時代に12人のJ内定者を輩出した3学年上の先輩に混じってプレーし、アドバイスをもらったことで、選手として飛躍的な成長を遂げた。「今ならプロに行って活躍できる」。自信をみなぎらせ、堂々とプロの世界へ進む。

「人生が変わった」7年間

「高校も付属なので、7年間ここに来て良かったと思うし、人生が変わったと思っています」

流通経済大の腕章を巻き、10番を背負い、攻守の要として存在感を放ったMF藤井海和は大学サッカーを振り返ってこう口にした。

付属である流通経済大柏高でもキャプテンで10番という重責を任され、内進した大学では1年生の頃から確固たる地位を築いた。終わってみれば2024年度の関東大学サッカーリーグ1部では1788分間プレーして最多出場賞を受賞。大学在学中の4年間での関東大学サッカーリーグ1部の出場時間は6224分(1年時:659分、2年時:1978分、3年時:1799分、4年時:1788分)となり、名実ともに大学サッカーの顔にあなった。そして、卒業する2025シーズンからはファジアーノ岡山でプロキャリアをスタートさせている。

大学で有終の美を飾ったと言いたいところだが、流通経済大はリーグ最終戦で明治大に1-4で敗戦。目の前で優勝を決められると同時に、インカレ出場権も逃し、4年生の大学サッカーは頂点にたどり着けなかった。悔しさをにじませる選手が多いなかでも、藤井はキャプテンとして最後まで気丈に振る舞った。

「日本一をもたらして終わりたかったし、それは試合に多く出ている僕の力不足であることは間違いありません。申し訳ない気持ちもありますが、本当にスタッフを始め、周りの選手たちには感謝しかない4年間でした」

プレー中もポーカーフェイスなのは高校時代からずっと変わらない。だが、プレーを見れば、すぐにファイターであることがわかる。ボールキープ力や展開力など技術面や判断面で質が高いことはもちろんだが、セカンドボールを回収する執念とプレスや球際の強度がすさまじい。技術のうえに何がなんでも奪い取るという気持ちを乗せ、チームのためにタイムアップの笛が鳴るまで動き続ける。その献身性があるからこそ、周りの選手からは信頼され、スタッフからはピッチ上の指揮を託された。

高校時代に直面したプロの壁

いかなる時も淡々とフォア・ザ・チームの姿勢をこなす。試合後のインタビューでも表情は変えないが、内面では非常にエモーショナルな感情を秘めている。

ある話題を振った時に藤井の表情が変化し、言葉に詰まることがあった。それはプロに対する思いだ。

前述した通り、藤井は2025シーズンから岡山に入ることが内定している。しかし、高校時代にはプロの壁の前に苦しんだ時期があった。

「現実って厳しいんだなと思いましたし、自分を見つめ直す機会にもなりました」

高校2年生の冬に名古屋グランパスの練習に参加し、高校3年生になるとジェフユナイテッド千葉の練習にも参加した。

「守備を得意としてきたのですが、練習参加してみて、僕の守備にはまだ“武器”と言える明確なものがないことを痛感しました」

夢につながる場所で厳しい現実を突きつけられた。自分の現在地を思い知らされた。それでも、一度火がついた高卒プロの夢は簡単にはあきらめられなかった。

「3年生でキャプテンであるはずなのに、プロになりたい気持ちが強すぎて、『自分が、自分が』になってしまっていた」

ちょうどこの時、藤井に話を聞く機会があった。この時の表情はいつものポーカーフェイスではなく、明らかに強張っていたことを覚えている。

なんとかこの壁を越えないといけない。早急に自分の武器を探さないといけない。あれもこれもやろうとしすぎたあまり、ハードワークや、攻撃の起点となるチームを動かすプレーが影を潜めるようになっていた。焦りが連鎖し、本来のプレーを出せないという悪循環に陥っていたのだ。

菊池泰智や安居海渡の金言

この苦しみから抜け出せたのは榎本雅大監督と何度も話し合い、獲得オファーがなかなか来ない現実を受け入れ、「自分のためばかりではなく、チームのためにプレーするという僕のプレーの原点に戻らないといけない」と自分を見つめ直すことができたから。それにより、藤井の表情からは強張りが消えた。

「大学に行ったら、(付属の3つ上の先輩である)菊池泰智さん(名古屋グランパス)や宮本優太さん(京都サンガ)がいる。僕は中学3年生の時にその代がインターハイ優勝や選手権準優勝をしている姿を見て、憧れて付属に入った。大学に行けば彼らと初めて一緒にプレーできるし、そうすれば高卒でプロに行けなくても、必ず成長できると思えたんです」

その選択は正解だった。藤井は1年目からレギュラーとしてポジションをつかむ。CB、ボランチ、サイドバックもこなせるマルチロールは、菊地、宮本の他にも安居海渡(浦和レッズ)、満田誠(サンフレッチェ広島)、佐々木旭(川崎フロンターレ)、佐藤響(京都)、家泉怜依(北海道コンサドーレ札幌)、仙波大志(サンフレッチェ広島)など、実に12人ものJ内定者を出した伝説の代の中で堂々としたプレーを見せた。

「同じポジションの菊地さんや安居さんに何度もアドバイスをもらえたことも大きな財産でした。例えば『お前はちょっと動きすぎている。時には止まって受けることも必要』など、自分のプレーを把握してくれたうえでの生きたアドバイスは本当に大きかった。正直、その時は理解できなかったことでも、2年生、3年生になっていくにつれて『こういうことだったのか』と整理されていきました」

ガムシャラな守備だけではなく、賢くポジショニングを取って、攻守をつなぐ。攻撃につないだら、タイミングを見計らって前に出て、ゴールに絡む動きもできるようになっていった。

今ならプロで活躍できる

再びプロ注目の選手になっていった大学3年生の時、藤井はこう口にしていた。

「ずっと試合に使ってもらって、いろいろな経験をさせてもらって、今ならプロに行って活躍できる自信があります」

この“今なら”という言葉に藤井の思いと苦労、そして成長が詰まっていた。壁の前に打ちひしがれたあの頃から、未熟だった自分がどんどん積み上げられていって、さまざまなことがリンクするようになった。大学に入ってからパフォーマンスが落ちることはあったものの、その度に高校時代の自分を思い出し、「自分のためばかりではなく、チームのためにプレーをしないといけない」という原点に戻り、逆境を乗り越えてきた。そして、2024年7月に岡山入りが発表され、4年越しに夢を実現させた。

「4年前の自分は高校生だったので当たり前かもしれませんが、かなり未熟でしたし、強度やプレースピード……すべてが足りなかった。でも、このトップレベルの環境で4年間やらせてもらって、基礎が身についたと思う。4年前の自分だったら仮にプロに行けていても、すぐに消えていたかもしれないような選手だったと思うけど、今は即戦力と言ってもらえる形でプロに入れた。それは本当にこの大学のおかげです」

もちろんここがゴールではない。プロになることではなく、プロで長く活躍できる選手、将来的に大きくステップアップできる選手になることが目標だ。だからこそ、大学生活のなかで「最多出場しているのに、4年生になってチームに何ももたらせられなかった自分が悔しい」と心残りが生まれたこと自体が、今後の成長の大きな原動力となるだろう。

「もし僕が(流通経済大の先輩である)守田英正さんのような選手だったら、チームはもっと勝てていたのかなと思う。守田さんとの距離はまだまだとてつもなく遠い。でも、目指してやらないといけないし、もっといい選手にならないといけない。ここからもう一度、初心を忘れないでやっていきたいです」

苦しかった経験を糧にして。ポーカーフェイスの裏側にある、燃えたぎる思いを持ち、藤井はプロの世界を歩み始めた。

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