サッカーを愛する天才に|小野伸二に見えていた景色─44歳の引退に寄せて─

Getty Images(ウェスタン・シドニー・ワンダラーズFC) 江本秀幸(北海道コンサドーレ札幌)

Jリーグ

2024.01.20

  • X
  • Facebook
  • LINE

サッカーを愛する天才に|小野伸二に見えていた景色─44歳の引退に寄せて─

増島みどり

Writer / 増島みどり

若さと才能の狭間で悩み、度重なる大ケガに見舞われ、10回を超えた手術、その度に長く孤独なリハビリにもがき、ついに楽しむという境地にたどり着くまで、小野伸二に見えていたのはどんな景色だったのだろう?26年ものプロ生活を追ったインタビューから、希代のフットボーラーの「視野」が捉えていた景色を描く。
(第2回/全3回)

現役最後の試合(2023年12月3日、浦和レッズ戦)から一夜明けた小野伸二のインタビューには、札幌市内のホテルの宴会場が準備されていた。

取材が殺到したため各社の持ち時間はもちろん限られる。8つもの取材チームが宴会場にスタンバイし、そこを、ユニホームからオフィシャルスーツに着替えた主役が、次から次へドリブルでDFを突破するように取材をこなす。

引退初日の新しい光景を眺めていると、前のDFを突破してこちらに近づいて来た。

「ホント、長い間、色々ありがとね」
そう言って右手を差し出してくれた。
トンデモナイ、御礼を言うのはこちらのほうだけれど、時間がないのですぐに取材を。
「小野伸二は天才か?」
あえて聞いた。
「周りは言いますが、そんなの正直、考えたことがなかった」
そう答えると分かっていた。

 

バサッと消えてしまったイメージ

44歳までのキャリアを通じて自身は「サッカーの天才」には興味はなかったはずだ。天才、という言葉ではとても表現しきれない様々な困難や壁、或いは見えないほどの谷底から這い上がってきたからだ。

他人とは違う視野に映る画像を瞬時に捉え、判断力と卓越したテクニックで、プレーとして実現する。小野はそれをよく「0コンマ1秒で描く絵」と表現していた。しかし、視野、アイディア、技術が考えるまでもなく連動していた特別な回路は、2000年のシドニー五輪をかけたアジア地区予選中に負ったケガで突如遮断され真っ暗になった。

1999年7月5日、シドニー五輪予選対フィリピン戦で左ひざじん帯断裂の重傷を負い、翌日には緊急手術を受ける。初めて経験する手術、リハビリが続きリーグ戦の出場はこの年、半分に留まった。周囲は「キャリアの致命傷になった」「あれさえなければ」と言った。

頭の中に溢れていたはずのイメージがバサッと消えてしまい「ただただ恐い」(小野)と追い込まれたなか、「シンキングスピード」を高めるためのトレーニングや、身体のキレを取り戻そうと瞬発系の地道なメニューと向き合う。フィジカルの強化はイメージを生み出すのを助けてくれた。

真っ暗な世界がやがてぼんやりと白黒に変わり、暗闇を知ったからこそ見えた一筋の光がピッチを照らした。再び色彩豊かな「シンジの世界」を取り戻した大きな理由は、発想の転換だった。テクニックで群を抜いただけであれば、44歳という年齢も含めあれほど豊かなキャリアにはたどり着けなかったかもしれない。

あれだけのケガがあったから

当時、手術と長いリハビリ期間、イメージが一切湧いてこない白黒の世界に苦しんでいたはずが、どこか明るく話していた。

「ケガの前の自分とは比べないことにした」と。ケガは、小野を見守る「サッカーの神様」が自分に足りないものを教えてくれるチャンスとも言った。大ケガをせずにプレーしていた高校時代、ルーキーイヤーまでと、全身麻酔を必要とする手術だけでも10回を超え、長いリハビリと闘い、海外で実績を残し、さらに44歳までプレーしたキャリアの、ここが「分岐点」だ。

「ケガをする前よりずっと強くなるためにこうなったんだと思う。ケガの前と比べるのではなく、ケガで新しい発想や取り組みができる。周りが、小野はもう寿命じゃないかって言っているかと思うと、逆に、ヨシ見てろぉ、俺が最後に残ってやるぞ、誰より長くサッカーを続けてやるってね」

ケガを乗り越え復帰するたびにテクニックだけではなく、喜びや優しさといった独特の情感が備わり、表現者としての深みや味わいに磨きがかかった。暗闇で掴み取ったイメージには、観る人を「エッ?そこに出す?」と驚かせる斬新さや、ユーモアも加わった。

天才を巡る正解も明確だ。札幌でこんな話を聞いている。

「自分をサッカーの天才なんて全く思わないけれど、サッカーを愛する天才でいたい、とずっと思っていた。1日でも1分でも1秒でも、パス1本でも長く続けられるように」

「あれさえなければ」ではなく、「あれだけのケガがあったからこそ」たどり着いた境地。

現役26年もの長いゲームは、ケガの度に「ヨシ見てろぉ、誰より長くサッカーを続けてやるぞ」と秘かに笑っていた、サッカーを愛する天才の勝利でもある。

※本文中のコメントは1998年、2000年、2005年、2018年の取材インタビューから抜粋したもの

SHARE

  • X
  • Facebook
  • LINE