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弱冠20歳の敏腕エージェント!小島大叶の始まりは「苦しむ父を助けたい」|2世エージェント奮闘記
Writer / 黒川広人
Editor / 難波拓未
国際サッカー連盟(FIFA)は2023年10月より、エージェント活動を行える人物をFIFAのライセンス保有者のみとする、FIFAフットボールエージェント制度の導入を決定した。その難関試験に日本最年少の19歳で合格し、エージェント資格を取得したのが小島大叶氏だ。エージェントとして2季目を迎える中、すでに金子拓郎や高嶺朋樹のベルギー移籍、荻原拓也のクロアチア移籍を成立させるなど、大きな存在感を示している。そんな彼の原点にあるのは、名古屋グランパスのスカウトや京都サンガF.C.の強化部長を務めた父・卓氏への深い尊敬の念。若き敏腕エージェントが、1mmの独占インタビューに応じた。(前編)
悔しそうな父の姿が忘れられなくて
──小島さんは、FIFAの難関試験に合格し、今エージェントとして活躍されていますが、元々代理人業に興味があったんですか?
僕の中で、ずっと父が憧れなんです。だから、当初はエージェントではなく、父と同じスカウトの仕事をやりたいと思っていました。その後、父がサンガの強化部長を辞め、僕が中3の頃にエージェントになり、その仕事ぶりを見ていたら、僕も自然とエージェントをやりたいと志すようになりましたね。
──原点はお父さんなんですね。
はい。「尊敬する父を助けたい」という思いがすべての始まりです。僕が中学1年生と中2年生の頃、父はサンガの強化部長だったんですけど、チームが全然勝てなくて、責任が問われるような弾幕も出てしまい、めちゃめちゃ悔しそうにしていた父の姿が忘れられなくて。「なんとか父を助けたい」と思って、海外選手の情報を調べるようになりました。当然なにもわからないですけど、父に「こういう選手がいるよ」と伝えたくて。
──エージェントになる前からお父さんの手伝いをすることはありましたか?
2021年、北海道コンサドーレ札幌にナイジェリア出身のガブリエル選手が来たじゃないですか。残念ながら目立った活躍はできませんでしたが、その移籍に自分も少し関わっていたんです。前年にケニア出身のオルンガ選手が柏レイソルで大活躍して、アフリカブームが来そうだと思いました。ただ、父は英語を話せないので、どうすればいいんだろうという状況だったんですが、自分が英語を軽く話せたので、いろいろな映像を見て、いいと感じた選手のエージェントへ、何十社とメールを送ったんです。その中で唯一、返信があったのがガブリエルの会社だったんですよ。当時、僕は中3だったんですが、結果、札幌が獲得する形となりました。あれが僕にとっての第一歩でしたね。
──当時15歳でスゴい行動力ですね。
面白い話が一つあって、檀崎竜孔選手(ウェスタン・ユナイテッドFC/オーストラリア)がスコットランドのマザーウェルに移籍したんですが、僕が中学3年生の頃に作ったこのアフリカ人エージェントとの縁が、その移籍に繋がったんです。父を助けたいという無我夢中の行動が形になったことはうれしかったですね。
「自分が落ちたら会社が終わる」重圧のエージェント試験
──そんな積み重ねが2023年のエージェント試験の合格につながっていったわけですね。
はい。僕が高校を卒業するタイミングで、免許がないとエージェント活動をできないという形になったんです。父が経営するエージェント会社の誰かが試験に合格しないと、これまで担当していた選手が離れることにもなるので、絶対に受からないといけない状況でした。ただ、最大の問題は、頼みの父が英語を話せないこと。僕が受からないと、社内で誰も受からないかもしれない状況で、僕の合格は至上命題でした。もし、僕が落ちたら本当に終わると。プレッシャーはすごかったですね。
──そこから、どのように合格をつかみ取ったんですか?
エージェント試験もそうですけど、まずは今後を考えた時に英語を話せないと仕事の幅も狭まると考え、高校卒業と同時にロンドンへ行きました。約1年、エージェントの勉強はもちろん、英語をみっちりと勉強しましたね。帰国と同時にエージェント試験を受けることになったんですが、なんとか合格できました。最後の1か月は、本当に丸1日ずっと勉強しているような生活でした。
──英語の勉強もそうですが、契約事を学ぶのは、専門用語が多くて非常に大変そうです。
本当に大変でしたし、難しかったです。一つひとつの単語がわからないんで、単語が出てくるたびに、調べて、メモを書いての繰り返しでした。途方もない作業でしたが、試験の出題範囲である1600ページほどの冊子を読み続ける毎日でした。
──その努力の結果、日本で最年少のエージェントになったんですね。
はい。日本で最年少ですし、恐らく世界でも最年少だそうです。ライセンスを取ったのは、2023年で、僕が19歳になったばかりの頃でした。
──試験の合格率はどれくらいなんですか?
オフィシャルで出ているもので言うと、世界で50%ほどの合格率だったそうです。
現地で直接クラブとの強固な関係を築く
──今の小島さんのメイン活動は?
基本なんでも行いますが、今は海外のルートを作ることがメインです。いろいろな人が協力してくださるんですが、今回の高嶺選手や金子選手、荻原選手もそうでしたけど、海外移籍に関しては自分で案件を持ってくるしかないんです。何回も海外に行って、現地でエージェントや各クラブの方々とコミュニケーションをとり、ルートを作っていく。その積み重ねです。当初は海外へのルートもなかったんですが、今では正直、他のエージェントさんと比べても海外移籍は強いんじゃないかというくらいの自信がありますね。
──海外にいる期間も長い?
年間の日数で言うと、3分の1ぐらいは海外にいる感じです。直近で言うと、冬のウィンドウが迫っていて、ここでも何人か動きがあると思うので、10月の中旬から海外に行く予定です。ヨーロッパで言うと、ほぼ全部の国に行ったんじゃないかなと。多い時には1日3試合を現地視察することがあります。
──クラブはどのように開拓していくんですか?
メインのやり方は、現地のエージェントとパートナーのような関係を作り、一緒にプッシュしてクラブと関係性を築いていくという形ですね。ただし、コルトレイクの場合は現地エージェントの力を借りずに関係を構築しました。ベルギーのエージェントのパートナーが以前にコルトレイクと仲違いがあったみたいで。そのように自分が会いに行って関係を築いていくこともあります。
──小島さんは日本語と英語を用いて、仕事をしている?
はい。それに加えて、今はスペイン語とフランス語を話せるようになりたいと思っているので、近いうちに勉強を始めるつもりです。
──なぜ、その2言語を学びたいんですか?
スペインに行った時に痛感したんですが、スペイン人は教育の関係上、英語を話せない人が多いんです。通訳を入れると、少し齟齬が起きて難しい点もありますし、南米もスペイン語圏なので、今後マーケットを広げていく意味でもスペイン語は必要だなと。あと、フランス語はアフリカの選手が、フランス語しか話せないケースも多いんで、その2言語をやりたいなと思ってます。
──昨今Jリーグから早期で海外に行く事例が増えています。
ただ海外に行かせればいい、という流れができているんじゃないかと危惧しています。行かせることも大事ですけど、Jリーグのクラブにもしっかりと利益を残さないと今後の日本サッカーの発展につながらないはずです。今は移籍時に発生するお金の基準が下がっていて、安く買われているケースが目立つのも実情です。日本のクラブにお金を残す意味でも、海外のクラブと密な関係を持つ重要性を感じています。
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