ファジアーノ岡山/NECナイメヘン
【単独インタビュー】高卒1年半でJ2からオランダ1部へ。岡山の超新星が叶えた、驚異的なステップアップ|佐野航大・オランダでの飛翔
Writer / 難波拓未
Editor / 北健一郎
2023年8月、佐野航大はJ2からオランダ1部へと羽ばたいた。高卒で加入した岡山で過ごした時間は1年半。あっという間の海外移籍には衝撃が走った。ただし、すべては成長のため。岡山で急速に経験を積み重ね、海外遠征で強烈な刺激を受けた若武者は、異国の地での挑戦を決意した。
(第1回/全3回)
特別だった岡山での時間
──まずは高卒で加入したファジアーノ岡山での時間を振り返っていただけますか。
1年半という短い時間でしたけど、リーグ戦や昇格プレーオフなどいろんな経験をさせてもらいました。「ファジアーノでの経験があったから今の自分がいる」と思っているので、短いですけど、すごく濃い思い出です。
──印象に残っている試合や出来事はありますか?
いろんな試合を鮮明に覚えていますけど、1番はホームのFC町田ゼルビア戦ですね。1万人以上のサポーターの前で、ずっと取りたいと思っていたホーム初ゴールを決めることができました。お兄ちゃん(佐野海舟/鹿島アントラーズ)が所属していた町田相手に得点を決めて勝てたことも良かったです。
──1年目から期待して起用してくれた木山隆之監督は、どんな存在ですか?
監督経験が豊富な木山さんからは、いろんなことを学びました。プロになるまでは本当にサッカーを知らなくて、走って戦う泥臭いタイプでした。それだけではプロで上にいけないことを理解していたなか、コーチングスタッフも含めていろんな人が戦術的なプレーなどサッカーを教えてくれました。
木山さんは、練習でのプレーがあまりよくなかった週でも、高卒の自分を途中交代で使い続けてくれた。ベンチ外を経験した時期も経験しましたけど、第22節・FC琉球戦からベンチに入り続け、第26節・大分トリニータ戦(プロ初ゴールを記録)を境にポジションを確保した。「自分のことをちゃんと見てくれていたんだな」って感じですね。
──高卒ルーキーとしてクラブ内外から大きな期待を背負っていました。
岡山出身が大きかったかなと。最初は少し贔屓目に見ての期待なのかなという感じでしたね(笑)。「試合に出たい」「結果を残したい」気持ちはあったんですけど、そんなに簡単ではないと思っていたので、自分のやるべきことに集中していました。応援されて期待されることは本当にありがたかったです。でも、いい意味で「そこに左右され過ぎないように」と考えていました。
海外挑戦は基準を変えて成長するため
──2023年8月にオランダ1部NECナイメヘンに移籍。J2からJ1を経由して海外に移籍するケースが多いなか、なぜあのタイミングで海外挑戦を決断したのでしょうか?
高卒でファジアーノに入った時は正直あまり海外は意識していなくて。でも、U-19日本代表に選ばれてトゥーロン(現モーリスリベロトーナメント)やスペイン遠征で海外との差を感じ、そこをスタンダードにしないとA代表を含めたレベルの高い集団には呼ばれないと感じました。海外遠征をするにつれて、「海外でやりたい」という頭にどんどんなっていきましたね。欧州内でステップアップしやすいオランダリーグは自分に適していると思い、オファーをくれたナイメヘンへの移籍を迷うことなく決めました。
──NECナイメヘンに合流した時の印象はいかがでしたか?
みんな温かくて優しくて、本当に助けられました。チームとしても自分のことをいろいろとサポートしてくれたし、本当にすごくいいチームに来ることができたと思いました。
──実際に練習して、自分の力が通用すると感じた?
合流直後はチームメイトが自分のことをあまりわかっていなかったので、「意外とできた」という感覚です。でも、自分のプレーにみんなが慣れてきた頃は、シンプルな身体能力の違いから難しさを感じました。本当に足が速いし長い。だけど、そういう選手とのマッチアップが自分の基準になるし、いい環境でやれることはうれしかったです。
──適応は大変でしたか?それとも時間が解決してくれた?
時間ですね。チームに合流していち早く先発で出たかったので、ナイメヘンのサッカーには早くフィットしないといけないと思っていましたけど、強度やスピード感は時間が経つにつれて慣れていきました。
小川航基と一緒に英語を勉強しながら
──海外でプレーするためには言語も大事になります。佐野選手は、岡山在籍時から英語を勉強していましたが、どうでしたか?
岡山の時は本当に勉強が嫌いで、週1で英会話を習いに行くのもきつかったです(苦笑)。でも、オランダに行くと、英語で話さなきゃいけない。最初は本当に言っていることがわからなかったし、ミーティングでは言葉の意味を確認しながら監督の話を聞いていたんですけど、単語を調べている間に次のシーンに飛んでいることもありました(苦笑)。でも、半年後にはなんとなく理解できるようになり、やるべきことを整理できました。「行ったら話せるようになる」って言われていたんですけど、まさにその通りだったなと。
──通訳は付けなかった?
用意していなかったです。(小川)航基くんと一緒に「今の単語、どういう意味だった?」と教え合うこともあったし、一緒に勉強していました。
──日本語でコミュニケーションを取れる小川選手の存在は大きかったですよね。
言語を含めてわからないことを聞ける相手がいたことは大きかったですし、すごく助けてくれました。航基くんはJ2でもプレーしていたので、すごさをわかっていましたし、そういう選手と一緒にプレーできることは、いまだに慣れていなくてうれしいです。
日本で対戦したことはあったのに、向こうは覚えていなかったんですよ(苦笑)。「お前、出てた?」と言われて、「雨の日のニッパツ(三ツ沢球技場)でプレーしてましたよ!」という話はしましたね。(笑)
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