高校時代の同級生と踏み出した指導者道(玉田圭司監督/昌平高校)|春風が運ぶ新世代

安藤隆人

高校サッカー

2024.04.24

  • X
  • Facebook
  • LINE

高校時代の同級生と踏み出した指導者道(玉田圭司監督/昌平高校)|春風が運ぶ新世代

安藤隆人

Writer / 安藤隆人

Editor / 難波拓未

高校サッカーでは毎年2月、3月に全国各地で新人戦や複数のチームによるフェスティバルが開催され、4月から始まる高円宮杯プレミアリーグやプリンスリーグ、各都道府県リーグに向けた強化と育成に励んでいる。今回は春のフェスティバルにスポットを当て、そこで目に留まった選手やチームをピックアップ。全10回に渡って選手の特徴や背景、強豪校の立ち位置や展望、取り組みを掘り下げていく。第3回は玉田圭司監督(昌平高校)を紹介する。
(第3回/全10回)

習志野高時代のチームメイトに招かれて

埼玉県の強豪・昌平高。

古豪の多い埼玉県で新興勢力に位置付けされる昌平高は、2007年に藤島崇之が監督に就任してからメキメキと力をつけ、下部組織に当たるFC LAVIDA設立後は6年スパンの育成でさらに勢力を拡大している。2014年に全国大会初出場を果たして以来、インターハイでベスト4が3回、選手権でベスト8が3回、2023年はプレミアリーグに昇格し、松本泰志(サンフレッチェ広島)、小見洋太(アルビレックス新潟)ら多くのJリーガーを輩出。全国トップクラスの実力を有するチームに成長した。

2024年、昌平に新たな動きがあった。かつて日本代表として2006年ドイツW杯と2010年南アフリカW杯に出場し、ドイツ大会ではブラジルを相手に1ゴールを決め、Jリーグ通算133ゴールを記録した名手・玉田圭司が監督に就任したのだ。

柏レイソル、名古屋グランパス、セレッソ大阪、V・ファーレン長崎を渡り歩いた玉田監督は、2021シーズンをもって現役を引退。2023年4月に昌平高のスペシャルコーチに就任し、2024年から監督となった。

なぜ今回の人事が成立したのか。それは、藤島元監督、村松明人前監督、関隆倫コーチ、菅野拓真コーチ、宮島慶太郎ヘッドオブスカウトの昌平スタッフと、玉田監督が習志野高時代のチームメイトだったという縁があったからだ。

現役引退後、玉田が今後について考えるなか、選択肢の一つに指導者があった。

「引退する4、5年前から指導者というか、人に対して教えることをすごく前向きに捉えていました。試合に出ながら若手選手にアドバイスをしたり、『こうしたほうがいいんじゃないか』と提案したりしていると、若手選手が変化することがあったんです。その瞬間をピッチ上で感じた時、『指導者っていいな』と思うようになりました」

自分が段々とベテランになるにつれて若手への接し方が変化し、より伝えることを意識し始めたことで得た体験が土台となった。しかし、すぐに指導者の道に進もうとは思えなかった。

そのなかで玉田を熱心に昌平のコーチングスタッフに誘ったのが藤島氏だった。

「現役時代から藤島には冗談交じりで『昌平のコーチに入ってよ』と言われていました。僕が引退した後、話す機会がもっと増えて、そのなかで真剣に言ってくれているんだなと感じるようになりました。そうなってから昌平の試合を見ると、自分の指導者としてのイメージがどんどん湧いてくるようになったんです」

藤島氏の熱意に応える形でスペシャルコーチとして携わるようになると、さらに指導者の意欲が増していった。

サッカー感が似ている昌平高で、学びながら教える

「昌平のサッカーは自分のサッカー感と似ている部分があったし、僕が学ぶ部分もあるし、僕から教えられる部分もある。長くサッカー選手をやってきたなかでプレッシャーや責任感がずっとありました。それが僕のなかではものすごく刺激になっていて、向上心や生き甲斐につながっていたんです。でも、それが引退した途端になくなりました。もちろん『解放された気分だから、こっちのほうがいい』と言う人もいますが、僕には刺激が足りなかった。この刺激を昌平のレベルの高い選手たち、かつてのチームメイトたちと共有できることが一番大きくて、本当に充実した1年でした」

監督になることは簡単な決断ではなかった。当然、コーチと違って昌平にフルコミットしないといけないし、大きな責任も伴う。オファーをもらって即答とはいかなかったが、考えに考え抜いた結果、「2023年の1年間、携わらせてもらって昌平の良さや個々のレベルの高さ、技術レベルは全国トップを狙えると感じました。こうした選手たちと一緒に戦えることは非常に光栄ですし、なかなかないこと」と決断を下した。

監督の立場になってまだ2カ月程度しか経っていないが、すでに大きな気づきと学びを得ているという。

「より深く昌平のスタッフとコミュニケーションを取るようになりました。彼らは僕よりも選手のことを深く知っていますし、彼らの一つひとつの声掛けの仕方だったり、選手の特徴の把握と伸し方の意見をすり合わせしていくことで、僕自身の指導者としての幅も広がっています」

気心が知れたかつてのチームメイトで集まると、「なあなあになってしまう危険性」もある。だが、昔から昌平にはそういう雰囲気が一切なく、藤島元監督を中心にそれぞれが意見をぶつけ合い、選手を成長させる根幹の基、堅いつながりをみせていた。

玉田監督はそこに自身をしっかりとアジャストさせた。J-VILLAGE CUP U-18で実質的な初采配を執った時も、村松ヘッドコーチたちと毎日のように話し合った。

「初戦に関して言えば、僕が少し選手たちを縛り付けてしまっていた部分があった。『ボールを後ろでつないで前進していこう』とテーマを掲げ、その練習を重点的に行い、試合中もそのプレーに時間を割いてしまった。僕のなかではそのつもりはなかったのですが、そこを指摘されて、受け取るほうがそう感じたらそうなのだと改めて学びました。だからこそ、2日目は少しでも全体の意識を前に向け、より自由度を増すことを意識したことでピッチ上ではアグレッシブなサッカーが展開できた。実際に勝利できて、その体験こそが僕にとって大きな収穫でした」

巡り巡って高校時代の同級生たちと一つの目標に向かって仕事をする。その意味と心境を聞いてみた。

「どの時期に一番サッカーが楽しかったかと言うと、やっぱり高校時代なんですよ。プロになってからもサッカーを楽しむことを意識してやってきましたが、それでも高校時代に比べるとやっぱり敵わない。一緒に仕事をしていて、あの頃の楽しかった記憶が蘇ってくることもあるのですごく楽しいです」

指導者・玉田圭司。「千里の道も一歩から」をまさに今、踏み出しているかつての偉大なストライカーは、最高の仲間たちに囲まれて精進の日々を送っている。

SHARE

  • X
  • Facebook
  • LINE