GNK Dinamo
【独占インタビュー】「マジでしんどかった」最悪の3カ月|金子拓郎 ディナモ・ザグレブ戦記
Writer / 黒川広人
JリーグNo.1ドリブラーが2023年の夏、海を渡った。金子拓郎。複数のオファーの中から金子が新天地に選択したのはクロアチアの絶対王者ディナモ・ザグレブ。だが、初の欧州挑戦はCL予選敗退、監督解任……と逆風からのスタート。それでも、一つのゴールを契機にチャンスをつかむ。11月からスタメンを勝ち取り、ここまで公式戦で3ゴール、6アシストをマーク。東欧の地で戦い続ける”サムライ”が独占インタビューに応じた。
(第2回/全3回)
練習の紅白戦にも出られなかった
──ディナモ・ザグレブはここ18シーズンで17度のリーグ優勝を誇るクロアチアの名門です。リーグを戦ってみての印象はどうですか?
サッカーのスタイルがJリーグと全然違う感じがしますね。どっちが上とかじゃなくて、日本は技術やパス。そういう細かい点がうまいですし、俊敏さはすごいありますし、組織的な守備っていうのはしっかりしているなと。
クロアチアは、自分より背の高い選手ばかりですし、身体能力が高いです。あとは、なんて言うんだろうな……殺気がすごい。ハイドゥク・スプリトとのダービーマッチなんて、ちょっと異様な雰囲気になります。サッカーの試合じゃないみたいです。
──殺気ですか!
やばいっす。「殺してやる!」みたいな“圧”をめちゃくちゃ感じますね。ライバルのハイドゥクはもちろん、王者のディナモに対してはどのチームも喰ってやるぞみたいな感じで来ます。
この前のハイドゥク戦も、全くボールに行こうとしている感じじゃなくて(笑)。でも、足を削りにくるような相手を交わして突破していくのは、めちゃくちゃ楽しいです!
──加入4日後に、リーグ戦でデビューを飾ったものの、チームはスタートダッシュに失敗。CLのプレーオフで本戦出場を逃すと、イゴール・ビシュチャン監督も解任。金子選手も新体制ではメンバー外が続くなど、前途多難のスタートになりました。
監督交代後にベンチ外になるのは、ある程度は覚悟していたんです。自分がとったわけでもない外国人選手より、クロアチア人選手を出すというのはわかりますし。でも……今だから、笑い話にできますけど。当時は本当にきつかったです。マジでしんどかったっす。
サッカーをしにヨーロッパに来たのに、練習の紅白戦にすら出られず、ベンチ外のメンバーたちと個人練習をしなきゃいけない。なんとか序列を上げるために頑張ろうにも、頑張りを見せられる場所がなかった。
「お前、何やってんだよ!」みたいな自分への失望感が強かったです。クロアチアで活躍してどんどん上に行こうと思っていたのに。「このままヨーロッパの生活が終わっちゃうのかな……」と。
でも、諦めたらダメだから。いつチャンスがくるか分からないし、1回1回の練習で自分のできる限りのことをやるしかない。絶対、自分のプレーを見せて、ここから這い上がってやるって。
──苦しい時に心の拠り所となっていたことは?
チームメイトから「いい選手なのは分かってる。練習を続けていれば、絶対に試合に出れるから!」みたいな声をかけてくれて。それはすごくありがたかったです。
1つのゴールで世界が180度変わった
──メンバー外が続いた中、転機となったのは10月29日、リーグ第13節のロコモティーバ戦です。アディショナルタイムの金子選手の1得点1アシストによって、大逆転勝利を飾りました。
今だから言えるんですけど……あの試合も最初はベンチ外の予定だったんですよ。
──え、そうだったんですか!
同じポジションの選手が熱を出して、急遽、当日、メンバー入りすることになって。通常だとメンバー入りした選手はスタジアムのホテルに前泊するんですが、1人だけ当日合流(笑)。
でも、自分でもわからないけど、なんか試合に出るような予感がしたんです。ワンチャン、あるんじゃないかなって。そうしたら本当に呼ばれて。
結果的に、アディショナルタイムに逆転ゴールを奪ったんですけど。ゴールやアシスト以外にも、手応えがあるプレーができた。そこからですね、世界が180度変わったのは。
──この試合を契機に出場機会が一気に増えていきます。
はい。完全にターニングポイントだったと思います。試合後に通訳経由で「お前をこれから信頼して使う」と監督に言われて、次の試合から実際にスタメンで出られるようになっていきました。
信頼度が上がっていけば、ボールが回ってくるし、自分のプレーを出しやすくなる。あっちの選手はわかりやすいんです。いいプレーをしたら、すごい褒めてくれますし、絡んでくれる。
──前半戦を終えて、公式戦3ゴール、6アシスト。リーグでは1ゴール5アシストを記録。クロアチアでの前半戦をどう捉えていますか?
「這い上がった」という言葉が1番合っているんじゃないですか。自分はこれまでも順風満帆なサッカー人生を過ごしてきたわけじゃありません。大学時代も東京都リーグで、プロに行くのは難しい状況でしたけど、そこから這い上がってきたので。
──現地では「埼玉の手裏剣」というあだ名が付いているとか?
それ、地元の記者から言われたんです。どんなセンスだと思ったんですけど(笑)。でも、呼びたい風に呼んでもらえればよいです。